引きこもり大学生だった頃の経験を、マンガにしてみた。

ひきこもりブログ

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このイメージを詩にしてみました⇒『じぶんのなかを旅しよう』

ひきこもりだった頃、紙に書き出していったこと

僕がひきこもりだった頃、自分の思うことを、正直に紙に書き連ねていくという作業をしたことがある。

・どういうことをしたいか
・どういうことをしたくないか

こんなことを書いていったのである。

その際、このようなことに、特に注意をはらった。

世間の常識では、NOと言われていることや、自身の心の底の深いところで、『それはお前らしくないからやめておけ』と言い続けてきたことなどにはお構いなく、ただ想いままに書き出してゆくこと。

つまり、セルフイメージ(自分が思う自分らしさ)にとらわれないで、わき上がってくる想いをそのまま書きなぐっていったということである。

すると、現状は何一つ変わっていないはずなのに、心の中の重荷が、ふっとかるくなったように感じた。

まるで、映画を観たときに、心の汚物が涙とともに、流れ出てゆく感覚に似ているようだった。

イソップ童話に『王様の耳はロバの耳ぃ!!』と叫んだ理髪師の話があるが、彼などはまさに『言いたいことがいえない苦悶』に悩まされた典型的な例であろう。

人は、心のそこからわき上がってくる、叫び声にフタをするほど、苦しくなってくる。

それを叶えてあげるとか、叶えてあげないといった問題は、また別の話であろうが、ともかく『本当の我が心の声』に耳をすませて、聞いてあげる時間をもうけてあげるということは、とくにこのストレスを感じることの多い現代においては、多少なりとも必要なのではないだろうか。

『そうだよね。うんうん。わかるよ』

と、聞いてあげるような、あたたかな母親のような存在が、人が学び、すくすくと生きてゆく力を培ううえで、欠かすことのできないものではないだろうか。

ここは物語、そして私はその主人公

ぼくは自分自身が、この人生の物語の主人公であり、そして映画監督であると思っている。

たとえば、自分が持っている、数ある思い出のなかで、ふこうなシーンだけえらび、きりつないで『世にも不幸な物語』の映画を、しずかに胸にしまっている人もいることだろう。

かたや、素敵な思い出をちゃんと、心のアルバムにおさめ
いろいろあったけど500枠と、瞳をかがやかせるひともいることだろう。

ところで、『自分が変わる』ということの、きっかけというものがあるとするならば、一体どんなものがあるというのだろうか。

過去が変われば未来が変わる500枠
特別な出来事が起こるとか、自分をとりまく現状がいちじるしく変化する、などということが引き金になるということは、珍しいケースであろうと思う。

『自分が変わる』ということの引き金として、もしかしたら『過去の思い出の編集技術が向上する』ということも、ひとつの秘訣として、あるのかもしれない。

「そんなことで、何が変わるということもないだろう」

そう言う人も、もちろん、おられることだろう。

しかし、それは革命と言えるほど、じゅうぶん、大きな変化であり、それはそれは挑むにたる、遥かなる旅路なのだと、僕は思っている。

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