京都の雑貨屋が集まる藤森寮で伝統工芸『一閑張り』を体験
「一閑張り」という伝統工芸をご存知だろうか。
これは、僕が一閑張りの技法を一部取り入れて、つくりあげたものである。
裏地にクレヨンが塗ってあって、日中の明かりでも、窓辺においておけば、その鮮やかな色彩を楽しむことができる。
この「一閑張り」の伝統工芸は、そもそも江戸時代に、明の学者である飛来一閑(ひらいいっかん)によってもたらされた、和紙を使った伝統技法である。
使用する材料は、主に以下の三つになる。
①手すきの和紙
②小麦粉からできた生麩糊(しょうふのり)
③渋柿からつくった天然の塗料である柿渋(かきしぶ)
柿渋(かきしぶ)は、その成分の特徴として
①防水
②防腐
③防虫
という効果を期待でき、なおかつ使用する糊(のり)にしても、天然の成分なので
④アレルギーの心配がない
という良さがあるという。
一閑張りとの出会い
京都の大徳寺近くに、藤森寮という寮がある。
雑貨屋や工芸品などの店が集まる空間であるが、そのなかのひとつ『夢一人』で学び、つくらせていただいたものである。
『夢一人』は、一閑張りの体験教室もかねそなえたアトリエとなっている。
僕はここで一閑張教室をうけさせていただいて、先生の指導のもと、あの作品を完成させた。
そもそも一閑張の特性として
①『紙を丈夫に固める』
②『紙を張り合わせ、傷ついた箇所を修復する』
というものがあるので、その応用範囲は実に広い。
テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』でも放送があったが、一閑張の技法で、自転車まで作ってしまえたり、紙だけで釘をつくってしまえるほど、丈夫になりえる。
昔はそれだけで、カラクリ人形までも、つくってしまう人がいたという。
ここの先生はとても素敵な女性の方でいつもニコニコと、楽しんでおられる雰囲気が伝わってきて、とても居心地がよい。
とくに用事がなくても、京都に立ち寄った際は、ふらりと寄り道したくなるぐらい、ゆるやかであたたかい時間が、そこには流れているのである。
作品をつくる教室をうけた第一回の時は、まずは、どういったものをつくりたいか、ということを考えさせられた。
これをつくる、というように、特に決まったものがないのである。
先生は、一閑張りを日本にもたらした飛来一閑(ひらいいっかん)から派生する、正当なる技法の継承者という立場におられる。
その精神として、おそらく受け継いでおられるのであろう。
ひとつの作品のあり方にとらわれず、その時代時代に則したものを作っていけばいいという、遊び心とでもいうべきものを感じた。
その時僕は、ランプシェードを作ってみたかったので、地元滋賀県の野洲川の川べりで見つけた、すっかり枯れて倒れてしまっている竹を枠に使おうと思った。
それから当時は、名嘉睦稔(なかぼくねん)という、沖縄出身の版画家の存在を知りはじめた頃のことだった。
彼も、あの棟方志功(むなかたしこう)も取り入れていたという、裏手彩色木版画(うらてさいしきもくはんが)と言う技法にも興味があったので、自分の好きなクレヨン画でそれをできないかとも思った。
版画といえば、小学生の頃に図画工作の授業で彫ったぐらいだったのだが、ともかく彫ってみると、ずいぶんと見栄えよくできたので、それを貼り付け、裏地にクレヨンをぬったというのが、この作品の生まれたいきさつである。
版木をつくっていて思ったことであるが、彫っている時間がとても心地よく、これは面白いかもしれない、と感じた。
それ以降、友達の講演会に協力して、集まって来られた方にわたすお礼の手紙を版画で彫ったりした。
さらに、それがご縁となり、会社からお礼状の仕事の依頼が舞い込んできたりと、非常に楽しい経験をさせてもらった。
町に美しいものを広めてゆくということは、道行く人々に心のゆとりをとりもどし、イライラを減少させ、犯罪や自殺を減らしてゆくことができる。
アートにはそんな強い力があると僕は信じている。
戦後、アメリカから持ち込まれてきたスラム文化によって、すっかり荒廃したかに見えた『アートという心の栄養素』が、昨今の雑貨ブームなどに見られるように、ふたたび必要とされる時代の流れの最中に、今いるように思うのだ。
心をあったかくさせるもの、ほっとさせる絵やデザインといった『必要無駄』が、この時代において、再び盛り返そうとしているのを感じる。